建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/第1章(No.10)
人は生まれ、この世界で生きていくためにどんな分野にも関わらず、必ず何かを志す。いや、社会の一員となるためにも志は立てなければいけない。ただ、若い頃は何を志せばよいのか分からずこれで迷う。あれやこれやと大いに迷ったら良いのではないか。あれやこれやの迷いの中から何か見つかっていくものだ。志を立てれば動くこと。動けば人に出会ったり、モノに出会ったりしながら何か見えてくる。私は、町内で一番の家を設計したくてその町を歩いた。そこにライトの作品があった。単純にライトの空間を体験したくてアメリカに飛んだ。そこですばらしいライトの作品に数多く出会った。
ライトの関係者にも出会うことができ、その後アメリカを訪れるたびにライトの作品を探し出しては見て回った。その数はアメリカ全土で約130になるが、それでもライト全作品のまだ三分の一にも満たない。このトライアル、ライトの作品探しは私が建築を続けていく間続けていきたいと思っている。自分のライフワークでもある。さすが近代建築3大巨匠の一人として名を残したことだけあって、見学のたびに感動し、元気を貰っている。
そして、ライトの素晴らしい内部空間を体験することで、ずいぶんと自分の心が豊かになったように思っている。この道を目指して間違いないと勇気も貰った。この出会いは目的を持って、動いたからだ。運というのはそういうものだと思う。運ぶこと。自分を自分で運ぶ。運勢の本を信じるよりも、志を持ちそれに向かってしっかり行動すること。だから運は動き開いていく。運勢が良くなるも悪くなるもすべては自分しだいなのだ。自分の心の在り方一つである。何かのテレビのCMのように、運が勝手について回るようなものではない。棚からぼた餅など落ちて来ない。何より、どうせ生きるために、食べるために稼がなければいけないのなら、いやな仕事を愚痴をこぼしながらするより、自分の好きなことやって稼げたら人生どんなに楽しいことか!
建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/第1章(No.9)
No.9 ――いざアメリカ、シカゴへ――
ライト作品の空間のドラマ性は学生時代から好きで、雑誌は食い入るように見たし、ライト関係の本もずいぶんと読んだ。また、写真を見ながら何枚もスケッチもした。しかし、残念なことにアメリカ本土での作品を見たのは、ニューヨークの五番街にあるライトの遺作になったグッゲンハイムの美術館だけだった。町内一番を目指している私にすれば実物を見、ライトをしっかりと知る必要がある。実際に見てみたいとかながね願っていたこともあって、とうとうその機会が巡ってきた。
計画を始めなければいけないその年の夏、着手する前にひと月かけてライトの作品見学の為にアメリカに飛んだ。目的はできる限り多くライトの実際の作品に触れ、ライトの空間を実体験する事。喧嘩する前に人と成りを知ろうということだ。
妻と、5歳と3歳の息子たちを連れ、家族でのライトの見学旅行だ。シカゴに向かって飛んだのは7月下旬だった。シカゴはライトが活躍した中心地でもある。オーク・パークにあるライトの初期の住宅作品など20数棟を皮切りに、具現
作品437のうちこれから約90プロジェクトを見て回ることになる。
建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/第1章(No.8)
No.8 ――阪急芦屋川での山邑邸との出会い――
かつて芦屋の芦屋川で住宅の設計依頼があった時、同じように町内を探索すると、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテル後に設計した山邑邸があった。世の中にはジャイケンの後出しでも勝てない建築があるものだ。
これから設計する同じ町内にライトの作品がある・・・。敷地からの北東側を見上げると山邑邸の南側が見え、そこのテラスに立つとこれから計画する住宅がまるで対峙するように見える。この事だけでも大きな興奮だった。そして、これをきっかけに今は亡きライトと私の大きな出会いになるとは想像もしなかった・・・。このことはライトの見学記として詳しく述べたいと思う。
建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/第1章(No.7)
No.7 第1章 アメリカの凄い建築家、フランク・ロイド・ライト
――町内で一番を目指したところに、世界のフランク・ロイド・ライトとの出会いがあった――
私は住宅やショップなど設計するとき、その敷地のある町内をくまなく歩き廻る。それはその町内の特徴的なことは何か?その街並みの成り立ちなどの歴史を知り、その地域での設計の手がかりをさぐり出すためである。また、歩きながらその町内で一番良くデザインされたものを探し出すためでもある。自分がデザインしたものがこの地域にできるというワクワクする期待感は嬉しいものだ。たいしたことはできないが、街中で良くデザインされたものを見つけ、それと闘いながら町内1番のデザインを目指す。次に誰かが私がデザインした近くで設計するとき、私のものと勝負してくれたらいいと思う。まるでジャイケンの後だしのようなそのやり取りが街を活性化し、街並みまでも楽しく、また画一的な街並みから個性的な街並みに変わっていくのではないかと思っている。これが街の中での建築づくりやショップづくりの出発点だと思っている。
建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/はじめに(No.6)
はじめに No.6 ――進路は自分の内に秘められている――
今の若い人は不思議なくらい見た感じが良く似ている。仲間で同じようなかっこーをするからか。一人ひとり見ると個性的なようであるけども、集団として眺めれば、それぞれの個性は残念ながら見えてこない。目立っているようで目立たない。つまり、姿にしても話題にしても自分の中から湧き出てきたものでなく、外から、つまりメディアからの影響で知った借り物で知識が構築されていないかと思うのだ。仲間が集まると、まず借り物のファッションで出会い、メディアで知った借り物の話題で話をする。借り物で作り上げられた個性は薄っぺらい。平面的で溢れる迫力が弱い。
言い換えるならば、若者だけでなく私たちも熟年者も現代のマスメディアの波に翻弄されたボートピープルのような側面がある。
どうせ時代の波には乗らなければいけないのだから、サーファーのように自分で上手く波をコントロールし、どこかはっきりした目的に向かっているという夢と希望を持った若者の力強い姿を見たいと思う。
10年先に自分はこうありたいとか、こんな人になっていたいというヴィジョン(将来像)を持っている若者はいきいきしている。夢があるからだ。唯心所現、心で想うことは形になって現れてくるという仏教の言葉である。願わなければ現れてこない、イメージ(想像)しなければ自分の将来は見えてこない。それを今風の仕事だからでなく、まずは自分のこれまでの生きざま振り返ってほしい。自分の家族や身の回りを見つめ直してほしい。自分が歩んで来た道をしっかり思い出し、掘り起こしてほしい。今君が18歳なら、18年、6570日間あまりの経験は軽くない。日ごと一日の積み重ねの中に必ず自分の進路を実感する何か芽のような、ヒントになるきっかけを発見できるのではないかと思う。
建築・インテリアの仕事のような、空間やモノを創り出す仕事は面白いが難しい。この世界がどんな分野なのかをしっかり見つめて、感じて欲しいと思う。そんな願いを込めて私が歩んできた30年の建築の体験や想いを綴ってみたい。このブログが読者の進路の縁(よすが)になり、この道を志す青年たちが出てきてくれたらと願って止まないし、この仕事の使命とやりがいは人を幸せにする仕事であると信じて、今なおこの世界を歩み続けている。少し乱暴かもしれないが、難しさとかしんどさは何を志してもついてくるものだ。後でじっくり味わったらいいと思っている。それより何より、それらの立ちはだかった壁が体験や経験として、どれほどこれからの人生で貴重なことか。大切なことは、志しを立てたら本気で飛び込む勇気をもつことではないだろうか。人それぞれの若さには自分の夢を実現できる能力と、壁を乗り切る体力が必ず備わっている。若い人が本気になった時の凄さにこれまで何度驚かされてきたことか。
夢を喰って生きていって欲しいと思う。お腹は満腹にはならないが、心が夢で一杯になる。力がつけば自然と収入も増えてくる。今の時代、若い人たちがこんな充実感や満足感、精神的な満腹感や達成感を、なかなか味合うことができない世の中になっているのではないだろうか。これを読んでくれている君も、今、夢探しで不安で生きていないか?
前置きが長くなった。さあ、次回から私の建築の話を始めよう!
建築を志す前に読む本(ウェブバージョン)/はじめに(No.5)
はじめに No.5
――流行やメディアに惑わされず、自分のやりたいことをやろう――
建築を造ること、モノを造ることを私は子供の頃からの夢として、生業としまた生きがいとして生きてきた。人生かけて取り組んできて本当に良かったと思っている。大きな建物や公共建築は地域のランドマークにさえなっていく。自分が設計した保育園を子どもたちが、グループホームを年老いた人たちが住み使ってくれる。自分がイメージしたように。これをデザインというのではないだろうか。廊下に取り付けたデザインした手すりを握ってくれた時にどう感じてくれるのだろうか?想像するだけでも、私にとってこんな嬉しいことはない。この仕事が楽しいのである。しかしここ数年、高校生を対象にした進路説明会などで「職業理解」というテーマで建築の分野説明の講演会によく出かける。建築の仕事紹介みたいなものである。残念ながら参加者はここ4,5年急激に減少している。
その理由は何か!よく言われるのは18歳人口が減っているから。確かに右肩下がりだ。もし、この減少の割合と建築の希望者のそれが一致しているならば仕方がない。つまり、自然現象である。ソーシャルニーズが減少すれば、当然その仕事の従事者も減少する。そうならば諦めもつく。私が危惧するのは他にもうひとつの理由があるように思うからである。それは・・・・。
元来、世の中の就業人口の構成というものは、需要と供給のバランスで自然に成り立っていくものである。産業構造の変容は時代の変化とともに変わっていく。その変わりようというのは、或る時は工学技術系が、或る時はファッション系が、IT系が、或る時はメディア系といった具合に時代の要求の中で移り変わりながら脚光を浴びたりしてきた。その変わり様を若い人たちは敏感に感じ取っていきながら自分の進路決めていく。若い人の感覚、感受性は非常に敏感だ。五感の敏感さと自分のものにしてしまうスピードの速さは20歳代前後の大きな特徴といえる。
しかしながら、それはまたメディアの影響を受けやすいという皮肉な一面も持ち合わせている。つまり、流され易い。ファッション、ヘアスタイル、ネイルアート、そして調理やスポーツインストラクター等。今の高校生、これらのほうが建築より希望者が多い。
それでいいのである。それがその人の中から湧き上がってきたものであれば。また続けているうちに正夢になっていくこともある。
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